戦中の苦難を語る南丹市の野口昭さんの人生

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戦中の苦難を語る南丹市の野口昭さんの人生

 今回は、京都府南丹市美山町で生まれた野口昭さんの99年間にわたる壮絶な経験を紹介します

彼は15歳の時、海軍に志願し、舞鶴海兵団へと入隊しました

「天皇のために命を惜しむな」との教育を受け、自らの使命感から日本を守るための志を抱きました

野口さんが乗った駆逐艦「大波」は、ラバウルへの輸送やガダルカナル島からの撤収作戦に参加しました

戦闘の中で彼が経験した出来事は、本当に驚きの連続でした

 たとえば、彼は主砲の弾を込める役割を担っており、敵の飛行機や船は目にしないまま、迫力のある戦闘音が響く中での任務をこなしていました

彼の耳には、大きな音と共に衝撃的な体験が残っています

あまりの忙しさに、恐怖感や勝てるかどうかを考える余裕すらなかったそうです

しかし、艦内では機関のための水が最優先とされ、飲み水や入浴は大変制限されていました

まさに命を懸けた現場での話です

 また、野口さんは海軍航海学校を卒業後、運送艦「讃岐丸」で整備を担当し、フィリピンへの水上特攻部隊の輸送に当たりました

1945年1月、彼は夜の黄海で米軍潜水艦からの魚雷攻撃を受け、艦が沈没の危機に

その際、彼はすぐさま海に飛び込み、親しい上官からオールを差し出されて助けられましたが、定員不足で残された仲間が犠牲になったことは、心に深い傷を残しました

 その後も、駆逐艦「榎」に乗り、またまた命の危険に直面することになり、艦尾が爆発するなどの凄惨な状況を目の当たりにします

その戦いを経て、彼はようやく戦争が終わったことを知ります

長年の戦争体験から、野口さんは「教育をしっかりして、歴史を知ってほしい」と強く訴えています

戦争という恐ろしい現実を理解することで、無駄な争いを避け、未来をより良くするための教訓が得られるのです

 最終的には、海上保安庁で穏やかな人生を送ることができたものの、過去の経験は彼の心の中で生き続けています

会話の中で、彼のような方々の想いを知ることは、私たちにとっても大切な学びとなるでしょう

ピックアップ解説

「駆逐艦」とは、敵艦を攻撃するために設計された比較的小型の軍艦です。主に護衛や海上戦闘のために使われますが、戦時中は特にその威力を発揮しました。駆逐艦は、攻撃だけでなく、敵の魚雷や航空機からの防衛にも役立つ重要な船舶です。野口さんが乗った「大波」と「讃岐丸」も、このような駆逐艦のひとつで、多くの兵士の命を守る任務を担っていました。軍艦の種類にはさまざまなものがありますが、駆逐艦はその中でも特に注目される存在です。

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