
八幡市にある石清水八幡宮に訪れたとき、きっと目を引くのがエジソンの肖像が彫られた巨大な石碑です
この碑は、遠くを見つめるエジソンの表情を生き生きと表現しています
実はこの碑、第二次世界大戦中、何度か解体の危機を迎えましたが、その度に当時の宮司が守り抜いてきたのです
国境を越えた絆を感じさせるこの碑は、今も多くの人に親しまれています
エジソンは1880年ごろに八幡の男山産の真竹を使って白熱電球を約千時間点灯させることに成功しました
このため、当時数年間にわたって真竹がアメリカに送られていたそうです
その縁を称えて、1934年に電力会社などの団体がこの記念碑を建てました
記念碑に関する八幡宮の記録によると、戦争の初期には憲兵隊がこれを問題視しましたが、宮司の田中俊清さんが「発明に国境はない」と毅然とした態度で反論
さらには、1944年には20人ほどが碑を破壊しようとした際にも「天皇陛下に献上している竹を切るつもりか」と真竹の価値を訴え、場を治めたのです
こうした身を挺した行動に対して、進駐軍京都司令部が感謝の意を表し、戦後5年間にもわたって食糧供給があったと伝えられています
現在の碑は1984年に建立され、御影石製で高さ1.7メートル、幅は6.3メートルあります
エジソンの誕生日である2月11日には生誕祭が、命日の10月18日には碑前祭が行われ、日本とアメリカの国旗が掲げられ、両国の国歌が奏でられます
田中俊清さんの孫である田中恆清(つねきよ)宮司は「平和を考える上で、世界の民族が交流し、互いにもっと知識を深めることが重要です
記念碑を守ることが日米の縁をつなぎ、平和への大きな貢献につながると信じています
国を超えたご縁を大切にしていきたいです」と話しています
「石清水八幡宮」は京都府八幡市にある神社です。この神社は、歴史的に重要な場所で、古くから地域の人々に愛されています。特にエジソンの碑は世界的にも珍しいもので、科学の発展と国際的な交流を象徴しています。
- エジソンは19世紀から20世紀にかけて活躍したアメリカの発明家で、白熱電球や蓄音機など、多くの発明を残しました。彼の発明は産業革命に大きな影響を与えました。
- 石清水は京都府八幡市にある、非常に由緒ある神社で、古くから地域の信仰を集めてきました。その名は「清らかな水」を意味し、周囲の自然とも調和した美しい場所に位置しています。
- 男山は八幡市に位置する山で、石清水八幡宮がある場所としても知られています。登山やハイキングに適したスポットであり、桜や紅葉の名所でもあります。
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