京都大学が発表した沖縄の遺骨問題とその影響

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日本の歴史において特に注目されるのが、遺骨の扱いやその背景です

最近、京都大学が沖縄県今帰仁村教育委員会に、同村にある指定文化財の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」から持ち出された遺体を移管したというニュースがありました

この遺体は、実際には京都大学が戦前に持ち出した150体以上の中の26体に過ぎません

この話を聞いて、京都出身の私たちにとっても、 遺骨という大切な歴史的資源がいかに扱われているのかを考えるきっかけとなるでしょう

これらの遺骨は1949年の時点で、京都大学医学部の清野謙次研究室が千体以上も保管しているという記録があります

清野教授によって付けられた「人骨番号」に基づいて収集地が目録として整理されているため、その歴史的背景を知ることができます

沖縄の遺骨収集の歴史

沖縄では、1933年に清野研究室の三宅宗悦講師が約70体の遺骨を収集しました

収集された場所は百按司墓から始まり、同県本部町の渡久地では39体の遺骨が発見されました

この地域には海そばの洞窟「ノロ墓」が存在し、琉球王朝時代からの歴史が刻まれています

また、南城市でも13体の遺骨が収集され、「聖地」とされる(せーふぁうたき)の奥にあるナーワンダー・グスクからも遺体が送られるなど、文化や歴史に深く根ざした遺骨収集の実態が見えてきます

遺骨の研究と情報公開

さらに驚くことに、京大医学部の金関丈夫助教授は29年に約80体の遺骨を沖縄本島で集め、京都大学に持ち帰りました

この時の旅行記では、百按司墓や中城周辺での遺骨収集の様子が詳細に描かれています

また、情報公開訴訟が続いており、その結果、沖縄県教育委員会がヒアリングで遺骨を開示するケースも増えています

結論として

私たちは、この問題を深く理解し、大切な文化遺産をどのように保管し、返還するべきかを地域の住民や当事者と共に考えることが必要です

遺骨問題は単なる学問上の議論に留まらず、私たちの文化と歴史に直結しています

ピックアップ解説

沖縄の「百按司墓」は、戦前に京都大学が持ち出した遺骨の中心地の一つです。この墓は琉球王朝時代の風葬の伝統を示し、死人を特定の場所に埋葬する文化が存在しました。しかし、近年の発掘調査で明らかになったように、この墓に関連する遺体が日本本土に持ち去られた背景には、当時の異なる価値観と科学研究への貢献の名の下に行われたことが影響しています。このような歴史を知ることで、私たち京都人は地域とのつながりを再確認することができるでしょう。

キーワード解説

  • 遺骨とは、亡くなった人の遺体が土に埋もれることで残る骨のことを言います。文化や宗教によって扱いが異なり、尊重されるべきものとされています。
  • 文化財とは、国や地域にとって大切な歴史的価値を持つ物品や建物のことを指します。文化財は、過去の人々や文化を知る手がかりにもなります。
  • 風葬とは、遺体を土に埋めずに、屋外に放置して自然に還す方法のことです。特に沖縄を含む地域で行われてきた独自の埋葬方法です。

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