
「横井庄一さんは、京都の下鴨と関係があるらしい」と知人から聞いた
実は、横井庄一さんは太平洋戦争中に28年もの間、グアムでひっそりと過ごしていた元日本兵だったのだ
彼は1945年の終戦を知らず、1972年に発見された時、日本に帰国した際に「恥ずかしながら生き長らえ、帰ってきました」という言葉を残した
この言葉は日本中に衝撃を与え、戦争がまだ終わっていなかったという現実を伝えた
しかし、どうして彼が京都と関係があるのかは不思議だった
そこで、インターネットや過去の京都新聞の記事を調べると、少しヒントとなる小さな記事が見つかった
そこから、横井さんの妻である美保子さんにたどり着いた
■新聞の片隅に訃報
2022年5月30日、京都新聞の朝刊に「故横井庄一さんの妻」という小さな訃報が載った
美保子さんが同月27日に94歳で亡くなったという記事だった
その記事には「京都市の病院で死去」とだけ書かれていたため、私は詳細が知りたくなり、喪主の連絡先を調べて電話をかけてみた
電話を受けたおいの幡新大実さんは「叔母のことです」と教えてくれた
後日、幡新さんと京都市左京区下鴨にある、美保子さんが住んでいた古い家で会うことができ、彼女の人生についてお聞きすることができた
■京都に来たきっかけは
美保子さんは鳥取県出身で、1927年に生まれた
彼女には7人きょうだいがおり、父は旧鉄道省の職員だったので、家族で全国を回っていたという
戦後、京都に来た理由は、美保子さんの兄である守也さんがきっかけだった
守也さんは京都帝国大学(現・京都大学)に在学中に学徒出陣し、特攻兵器「回天」に乗るための訓練を受けていたが、事故により帰国した
その後彼は戦争を避け、家族を守るために帰れたのだ
強い意志を持つ家族の物語が、私たち日常の中にも息づいていることを感じる
京都には、多くの歴史の裏側にある人々の想いが詰まっている
私たち京都人は、その声を忘れず受け継いでいく責任がある
回天とは、第二次世界大戦時に日本が開発した特攻(とっこう)兵器の一つです。特攻とは、自らの命を犠牲にして敵艦に体当たりする戦法を指します。回天は、潜水艦のように水中を移動し、敵を攻撃するためのものでした。特攻隊員は、勇気ある行動が求められましたが、同時に多くの命を失う悲劇も生み出しました。このような歴史を知ることで、私たちの平和の大切さを感じ、後世に伝えていくことが重要です。
- 回天とは、第二次世界大戦中に日本が開発した特攻兵器で、主に潜水艦のように敵艦に体当たりするためのものでした。独特の運用方法と技術が戦争の中での悲劇を生みました。
- 学徒出陣とは、戦争が激化する中で、日本の学生が軍に動員され、戦場に送り込まれる制度です。多くの若者が学業を中断し、命を失いました。
- 喪主とは、亡くなった方の葬儀を取り仕切る人のことを指します。一般的には、家族の中で最も近い関係にある人が務めます。
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