
平和や核兵器廃絶を訴える「戦後・被爆80年のつどい」が、京都府亀岡市余部町のガレリアかめおかで開かれました
このイベントでは、戦争末期に京都市内であった空襲を体験した亀岡市の94歳の女性が、その恐怖の記憶を初めて語り、聴衆の心に深く響きました
最後の生き残りとも言えるこの女性、並河文子さん(旧姓谷口)のお話は、1945年6月26日に自宅が空襲に遭った時のものです
彼女は当時14歳で、女学校に通っていました
その日、京都市上京区の自宅で西陣空襲が発生し、爆風の影響でガラスが割れてしまったのですが、なんとか無事だったようです
しかし、一帯では少なくとも43人がなくなってしまったと言われています
文子さんは、「電線に(着物の切れ端など)がいっぱいぶら下がっていた」「髪の毛がついた塊が屋根の上にあった」と、その日の恐ろしい光景を鮮明に覚えています
その後、学校に行く途中には、爆弾が落ちたのか、地面が大きなすり鉢状にへこんでいるのを目にしました
しかし、その当時は、そうした経験について話すことが禁じられていたそうです
彼女は「見ること、聞くこと、しゃべることが犯罪
ひどい時代でした」と振り返り、戦争のない社会を強く願う気持ちを表しました
イベントでは、原爆をテーマにした紙芝居の映像も上映され、昨年12月にあった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞の授賞式についての報告も行われました
つどいは、亀岡市内の労働組合や女性団体でつくる亀岡憲法共同センターが主催し、約90人がその話に耳を傾けました
「西陣空襲とは?」それは、1945年に京都市で起きた空襲の一つです。特に京都市上京区で大きな被害があり、地元の人々にとっては忘れられない事件です。多くの命が奪われ、町の風景も一変しました。この空襲は、戦争の恐ろしさを伝える重要な出来事であり、今もなお多くの人々がその記憶を抱えています。
- 被爆とは、核爆弾や原子爆弾の爆発によって被害を受けることです。特に1945年に広島や長崎で起きた原爆投下が有名で、たくさんの人々が亡くなり、後遺症に苦しむ人も多くいました。
- 空襲とは、敵国の基地や施設を攻撃するために航空機から爆弾を落とすことを指します。日本でも第二次世界大戦中に多くの都市が空襲の標的になり、深刻な被害を受けました。
- ノーベル平和賞とは、毎年ノルウェーで授与される世界的に有名な賞です。平和のために努力した人々や団体に与えられ、国際的な平和の促進に寄与することを目的としています。
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