深草出身の陶芸家が語る特攻隊の思い出

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 京都の深草で、特攻隊員として過酷な教育を受けた陶芸家の林康夫さん(97)の話をご紹介します

彼は深草第三尋常小を卒業し、その後、京都市立美術工芸学校(通称:美工)に進学しました

しかし、彼が在学中の1940年頃からは、英語の授業が減り、代わりに軍事教練が増えていきました

特に彼が参加したグライダー部では、木津川の河川敷を利用して飛行訓練を行っていました

このように、歴史的な背景がある深草地域は、戦争の影を色濃く残しています

 

 15歳の林さんは1943年に海軍飛行予科練習生に志願し、美保海軍航空隊(鳥取県)に入隊しました

予科練では厳しい軍事教育が施され、特に「軍人精神注入棒」と呼ばれるものでしっかり教育されたと話します

その時代、仲間たちも同様に厳しい環境下で絆を深めていました

兵士としての生き様を学ぶ中、彼の心の奥にひそむ願いは、「家族を守るために自分が頑張る!」というものだったそうです

 1945年のある日、林さんは新分隊の訓示で特攻隊への志願が求められ、自分の意志で志願の紙に「◎」の印をつけました

強い決意と共に、神風特攻隊菊水隊の一員として訓練を続け、様々な危険な体験をしました

特には、築城から観音寺航空基地への遠征編隊飛行では、エンジンが停止した恐怖を味わったことを今でも鮮明に覚えています

その時は、神様に願いながら懸命にエンジンを復旧させようとしました

命がけの飛行訓練の中で、彼は仲間と共に戦うことの大切さを実感していました

 しかし、1945年8月15日、日本が敗戦を迎え、出撃命令が出たものの、実際には作戦は中止になりました

林さんは安堵すると同時に、戦争がなければ多くの仲間が生き残れたのではないかと、心に思うのでした

深草の地で過ごした経験は、彼にとっても、私たちにとっても大切な歴史を物語っています

この地域の人々がいかに戦争の時代を生き抜いてきたかを学び、同じ過ちを繰り返さないためにも、時にはこのような話を振り返ることが大切です

ピックアップ解説

「特攻隊」は、第二次世界大戦中に日本が運用した自爆攻撃を行う部隊のことです。この部隊は、特に若いパイロットが戦闘機に搭乗し、敵艦船に向かって突っ込む固い志を持った兵士たちで構成されていました。特攻隊の背景には、国家に対する忠誠心や義務感がありましたが、同時に多くの無駄な命を失った悲しい歴史が残されています。このため、特攻隊の話は今もなお、私たちに教訓を与えてくれる重要なテーマとなっています。

キーワード解説

  • 特攻隊とは、特に若いパイロットに自爆攻撃をさせる部隊のことです。第二次大戦中、日本はこの部隊を運用し多くの命を失いました。
  • 海軍航空隊とは、日本の海軍が航空戦力を運用するための部隊です。航空機による攻撃や偵察を行い、戦争における重要な役割を果たしました。
  • 美術工芸学校とは、芸術や工芸の技術を学ぶための学校です。京都市立美術工芸学校は、地域の文化や伝統を活かした教育を行っています。

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