伏見区の天保の飢饉供養塔、仮移設決定!

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伏見区の天保の飢饉供養塔、仮移設決定!

京都市伏見区では、歴史研究家の吉平裕美さん(67)が見つけた江戸時代後期の「天保の飢饉」に関わる供養石塔の仮移設が決まりました

この供養塔は、無縁墓に埋もれていたため地元でもほとんど知られていませんでしたが、今回の発見で再び注目を集めています

土台は砂岩製で、高さ90センチ、幅36センチ、奥行き24センチの規模で、正面には「餓死諸霊塔」と刻まれています

吉平さんの働きにより、「伏見指月城を考える会」の武内良一さん(84)らと一緒に、仙台の飢饉の餓死者を悼む内容が側面に記されていることも判明しました

大阪大谷大学の狭川真一教授によると、この供養塔が関西で見つかるのは初めてのこと

また、天保の時期に奉行所が餓死者を悼む碑を建てないよう命じていたことも確認され、この塔の希少性が裏付けられました

吉平さんは、今後この供養塔が無事保存されるよう、地域の人々や寺院とともに協議を行っています

保存方法については京都市と相談しながら決定する予定です

実際、今月3日には地元の石材店がクレーンを使って慎重に供養塔を移動しました

「令和の米騒動」のように、食糧がいつも豊かなわけではない今、過去に困難を乗り越えた人々の歴史を知ることは、私たちにとって大切な意味を持つのです」と強調する吉平さんの想いを忘れずに、地域の歴史が次の世代へと受け継がれていくことを期待しましょう

ピックアップ解説

「餓死諸霊塔」についてですが、この塔は天保の飢饉で亡くなった人々を供養するために建てられました。江戸時代は頻繁に米不足が起こり、多くの人々が飢えに苦しんでいました。この供養塔は、その歴史を記憶し続けるための大切な 証です。また、京都では祭りや行事があり、供養の文化が今も息づいています。このように、ライフイベントと食の歴史は切り離せないものです。

キーワード解説

  • 供養塔とは、特定の人々や出来事を弔うために建てられる石の塔です。供養は故人を大切に思う気持ちを表すための行為です。
  • 天保の飢饉とは、1833年から1837年にかけて日本で起こった大規模な食糧不足のことです。特に米不足が深刻で、多くの人々が困窮しました。
  • 無縁墓とは、長年誰も手を入れない状態のまま放置された墓を指します。時が経つにつれ、無縁となった墓が増えてしまうことがあります。

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